2012年3月15日木曜日

2012年2月14日発表 墓販売の偽装


 



2012年2月14日
上江洌尚子

墓販売の偽装

沖縄リバイバル教会がまだ一日橋のアパートで活動をしている時代のことです。信徒数が200名を越えたころです。一憶二百万円詐欺事件とも重なりますが、儀間盛夫は教会がお墓をつくるこが決定したとして信徒に発表しました。その墓は一家族、三十万円という納骨堂への申し込みを募っていました。


話を少し戻しますが、詐欺事件についてです。


2004年新聞にもこの詐欺事件は掲載されました。沖縄タイムス、琉球新報両新聞紙面にも一億二百万円と書かれていました。なので、一億二百万円の詐欺事件だと思っている人が大半だと思います。しかし、実際は一億数千万円なのです。


 
あの当時儀間盛夫が私達信徒に対して「私は本物の詐欺師に騙されました。一憶円の生命保険に入っているから、自分が自殺すれば、この生命保険で失った一億円を教会に戻せると思い自殺も考えました。それにサタンが私の耳元で死ね、死ね自殺しろといっていた。」などと語っていました。それは詐欺事件直後、儀間はアメリカから南米を回りハワイまで足を延ばす一か月余りの旅行から戻った直後のことでした。



今考えると一億円という庶民の感覚からは想像もつかない大金をだまし取られた被害者という儀間が一か月以上も海外旅行い出かける神経が全く理解できません。また、教会員が一生懸命長年積み立ててきた一億円以上の献金を騙し取られておきながら、地球半周の長旅をするお金はいったいどこから出てくるの? 全部信徒からの献金でしょう!!

本当に今考えると子供でもおかしいと思える状況なのに、気が付かなかった自分に非常に頭にきます。旅行から帰って来た儀間はその時一憶数千万円を長一夫に騙されたと発表していました。決して一億二百万円などと切れの悪い数字ではありませんでした。一億二百万円詐欺事件と書かれた新聞を見た時私は「ん??おかしい!」この金額は違うと思いました。



 
その後、この事件に詳しい人物に私は会う機会があり、確認すると私の記憶違いではないことがわかりました。新聞では詐欺を働いた犯人は三人長一夫、長勝子ともう一人の設計士、この三人の犯行となっていました。しかし詐欺を働いたのはこの三人以外に実は他にも数名いたのでした。表に名前の出ていない人たちは警察の追及で詐欺を働いたことを認め、騙し取ったとされる金額を儀間に戻しているのです。もどされた金額を差し引いて一億二百万円となっているのです。これはその裁判にかかわった人物から私達は直接聞きました。

ですがこの詐欺事件についての詳細は未だに何一つ信徒には知らされていません。


あの新聞を読んだ世間の人たちは、人のいい世間知らずの牧師が騙されたのだろうと思ったことでしょう。騙されたと儀間が言っているだけで実際はつじつまの合わないことが山ほどあるのです。


儀間盛夫自身、長一夫より実に多くの人達を騙し続けているのですから、どちらが本当の悪党なのかわかる人はわかるのです。詐欺事件については次の機会にもっと詳しくお話しすることとします。



はじめにもどります。

本題にもなっている「墓販売の偽装」についてです。
私が沖縄リバイバル教会に通うようになった1994年~1995年は、教会がお墓をつくるので、早めに申し込むようにと儀間は信徒に考える余地を与えず即決させるように煽っていました。
一家族30万円の納骨堂として多くの信徒達が申し込みをしていました。


私はお金が無かったので御墓を購入できませんでした。
もし、私に30万円という現金があの頃あれば、形も何も無いお墓を儀間の話だけを鵜呑みにして何も考えずに30万円を渡していたことでしょう。


 あの頃はネット販売、ねずみ講式の商売が教会内でいくつもあり盛り上がっていました。墓販売と重なるように次々に儀間牧師は信徒からお金を巻き上げていましたということを教会を離れて初めて知るのでした。教会内での儀間の金集めはとどまることなく、次に新会堂建設に火が付きました。今思うとあまりにも物事の流れが速く、騙しの手口でテンポがどんどん速くなり弾みが付くという状態でした。


「あれ? へんだな??」と一瞬感じても、立ち止まって考えることができない状況でした。

結論から言いますと、

沖縄リバイバルチャーチの儀間盛夫は多数の信徒から多額のお墓代を集めたにもかかわらず、20年近く経っても約束したお墓をつくっていないのです。ただし、ここで取り上げなくてはならない問題があります。単に未だに約束したお墓をつくっていないということだけではないのです。そんな単純な騙しではないのです。ここに驚くべき事件が隠れているのです。

ありもしないお墓を売り続けていた儀間盛夫がいたのです。ちょうどその頃、アッセンブリーのニュライフチャーチ内村保牧師の教会が納骨堂を完成させていました。

嘘つき牧師、儀間盛夫が次に言った嘘はこうです。


沖縄リバイバル教会の納骨堂ができるまでニューライフチャーチの納骨堂を用意しましたと言い始めたのです。その裏に隠された儀間の騙しを知る信徒は一人もいませんでした。


2005年教会用地地主が騙されていることが明らかになった時点で、盛山さんはお墓でも信徒は騙されているのではないかと、私に納骨堂を使っている信徒に確認を取るようにいいました。


 
すると驚くべき事実が浮かび上がって来ました。それはこうです。
その納骨堂にある信徒のご主人、勿論沖縄リバイバル教会の信徒です。

その方のお骨が納められていました。

ある日突然、儀間の秘書であり教会事務員の屋比久宏から連絡があり、こう言われたそうです。あなたのご主人の納骨スペースを一時貸してくれと言われたそうです。他の方のお骨を納めるスペースが無いからという理由だったそうです。彼女はおかしいとは思ったが、何も言えず言われるがままに従ったのでした。


皆さんは自分の家族のために用意したお墓からご自分の家族のお骨を取り出して他人のお骨を自分の家のお墓にいれますか?

お墓の貸し借りをなさいますか?

平気で貸してくれという儀間の神経が普通ではないことがよく分かります。ましてや牧師を名乗っているのですよ。人の心を扱う牧師がやることではないと思いませんか。



 
あの当時、ニューライフチャーチの内村牧師に確認すると沖縄リバイバル教会はその納骨堂のスペースを三か所だけしか押さえていなかったのです。

それは実際に沖縄リバイバル教会が購入したのか、借りていたのかはわかりませんが、とにかくたった三つの納骨スペースをです。信徒数が5百名もいる教会で多数の信徒からお墓代金を集めるだけ集めておきながら納骨スペースがたった三つですよ。

儀間盛夫は人のお墓までも使い回し金儲けをしているのでした。その信徒は納骨スペースを貸してくれと言われたのです。
「一時ご主人のお骨を移動する」

「教会に断りなく納骨堂に行ってはならない」

などと言われていたのでした。


これらの詐欺行為を儀間は隠すために何をしたかというと、ニューライフチャーチでは毎年納骨堂において記念会を催しています。

納骨スペースを購入したご家族に毎年記念会の案内状を送っているのだそうです。しかし、沖縄リバイバル教会の信徒にはその通知は一度も届いていなかったのです。それはそうです。記念会の際、同じ納骨スペースに何世帯もの人達が重なることになります。そうなると大変なことです。ここは内のものです。いいえここは内のものですと混乱が起きます。当然、沖縄リバイバル教会の儀間が騙していたことがばれる訳です。お墓を購入した信徒にそのことがばれないように、儀間はニューライフチャーチの内村牧師をも騙し記念会の案内状が信徒に届かない様に手を回していたのです。勝手にニューライフチャーチの納骨堂に行ってはいけないというのは、騙しを隠すためなのです。恐ろしいことです。



 
ですからお骨を納めてあるニューライスチャーチの記念会に参加することはできず、納骨堂とは何の関係も無い沖縄リバイバル教会二階の一室に記念会と称して親族は集められ、非常に簡単な形だけの心の伴わない記念会を何年もやり続けていたのです。


盛山さんがリバイバル教会の異常に気付きマインドコントロールによって自分自身を失い物事を深く考えることができない様にされている私達に寄り添い、私達の目を開かせ儀間牧師の行っている宗教的精神操作の実態を気づかせてくださった結果、山田さんの土地も騙し取られている事を知ったのです。


お墓を購入していた信徒に儀間盛夫が裏でやっている一憶円詐欺事件の隠された事実や山田さんの財産を騙し取っていること、宗教的精神操作が行われていること、教会を商売の道具にしていることなど調べてわかった儀間盛夫の実態を話しました。その信徒にも盛山さんはやさしく寄り添い時間をかけゆっくりと、時には一日9時間もその信徒の話を聞き続ける中、その信徒はどれだけ儀間に対する間違った恐怖心で縛られ続けてきたかを改めて知るのでした。

その信徒は徐々に盛山さんに心を開き儀間に騙されていたことに気づきました。事実を知ったその信徒は亡き夫のお骨を一日も早く儀間の元から取り返し別の場所に移したいと強く思うようになったのですが、儀間に対する恐怖心を払しょくすることはできないのでした。


盛山さんは恐怖で縛られているその人に、儀間の事を「タダの嘘つきおじさん、田舎の叔父さん、教養も品性も何もないタダの田舎のおじさんですよ。」と恐怖心を少しづつ取っていきました。

そしてその信徒に対して勇気を持って儀間牧師に対面しお墓の件を話してくるようにと盛山さんは指導し促しました。そして儀間やヤビクがどのような嘘を口にするのか知りたいという盛山さんの強い思いから、内容をしっかり聞き記録しておくように、できるならテープに録音するように諭しました。

その信徒は勇気を振り絞り沖縄リバイバル教会のとのやり取りをテープに録音することができたのです。彼女は勇気を出し教会に行きお墓の件を切り出したのです。すると、儀間の懐刀で儀間の指示ならどんな悪いことでもやり通す教会事務員の屋比久宏はその信徒に対してこのように言葉を発したのです。

「教会は現在お墓をつくっている途中なんだ、もうすぐ沖縄リバイバル教会の納骨堂が完成する。」と、その信徒に言ったのです。屋比久はなんとか言いくるめようと、どこからでもどんな嘘でも平然と大真面目の振りをして嘘をつくのです。このお墓の騙しは詐欺事件だと私は思います。「もうすぐ完成だ」なんて、良くもぬけぬけと言えると思いませんか?


儀間盛夫、儀間盛人がやっているように多くの人々を騙しお金を騙すなど、一時は成功するかもしれませんが、いつまでも続けられるはずがないのです。神様はすべてご覧になっています。すべてを知っているのです。人はだませても神様は騙せません。



 
儀間盛夫も妻の淳子も息子の儀間盛人も屋比久宏も長年信徒を騙し続けてきています。言い逃れやその場その場で行き当たりばったり、適当な嘘をいい相手を振り回すことなど彼らにとって日常茶飯事なのです。そんなことは何とも感じない人達です。根っからの大嘘つきなのです。マインドコントロールの抑えがしっかり効いている信徒に対して何とでも言ってその場をしのげばいいと思っているし、そのようなことをして実際騙しが成功しているのですから。


長年マインドコントロールによって操作されていたことが今なら良く分かります。
息子の盛人は親のやっている、人を騙し続ける生き方を見て育っています。親と同じように人を騙す方法を幼いころからしっかり身につけています。もうそろそろ親を越えているのかもしれません。人を騙しそうな人には誰も騙されません。騙しそうに見えないから詐欺師なのです。牧師を名乗っているのですからなおさらです。



あの頃私は儀間の本性をどんどん知ることとなっていきました。そして想像を絶する様々な脅迫に晒されていました。私はあまりの辛さに心が爆発寸前でした。


心も体も限界でしたがそれでも生きていくために働くのですが、職場で急に心臓がバクバク波打ちはじめ、胸の奥がバッタンバッタンと畳を引っくり返すような音がして心蔵が揺れ動くのです。
その内、本当に心蔵がどんどんどんどんものすごく重たくなって行きました。その重さに耐えきれず身体が左側に傾き立っていることができず倒れ込むのでした。


また、時には辛かったことを思い出すと呼吸が苦しくなり息ができなくなることも何度もありました。現実に起こっていることに自分の精神が付いていけない時やあまりにも辛く苦しい時、人は涙の一滴も出ません。


私も事件の起こった2005年その一年間涙一滴もこぼれませんでした。少しことが進み始めた2006年になって、今度は毎日毎日泣いていました。一人になると子供のように大声を上げてわんわん泣き続けていました。そしてひきこもるようになったりとひどいものでした。家の中がゴミの山になることも何度もありました。
本当に精神錯乱状態が長い間続いていました。


あの頃の私はそんな状況でしたので、盛山さんは毎日私に連絡をくださったり、私の自宅に何度も寄ってくださり支えてくださいました。今の私が生きていられるのは盛山さんのお陰です。盛山さん無しに何も語ることはできません。


 
これまでの儀間を見てわかることですが、
彼らは未だに牧師を名乗っています。彼らには信仰心は全くありません。信仰心が無いので愛も無いのです。愛が無いから信仰心もなく、神様を信じてもいないのです。神を信じていないから悪いことをしても平気、神様が怖くもなんともないのです。

彼らにとってお金が神なのです。金さえあれば何でもできる、死んでしまえばすべてが終わると思っているから、金を追い求め人を踏みつけ人権を奪うことにも罪悪感も感じないのです。彼らこそ悪魔に心を売っているのです。
そんな悪魔の使いと仲良くできる牧師も多くいるようですが、そんな人は偽物の牧師です。


本物の牧師であるなら、信仰心を持つ牧師なら儀間親子のような真っ黒い悪魔のような偽物に近づくことはできないはずです。

ということは、本物の牧師があまりにも少ないということがよく分かります。

今は、本物の牧師であってもいつ偽物に巻き込まれるかわかりません。その人がお金の欲や地位や名声その他の欲をわずかでも求めるなら、すでにその罠にはまっているのです。


沖縄の牧師は狭いこの島で誰と付き合うのか、どの牧師に距離を置いて歩むのか、よくよく考える時期が随分前から来ています。偽物に距離を置きその色に染まらない様に自分を守り、教会を守り、信徒を守ることはとても大事なことです。

線を引くことを考える時期、その時期もそろそろ終わりに近づいているように感じます。自分の生き方姿勢を打ち出すことはどの世界でも、とても大事なことではないでしょうか。それこそ信仰の表明を信徒に薦めていながら、牧師自信自らの姿勢はフラフラと曖昧にしている。

「良いことは良い、悪いことは悪い。」と言えない自己保身を捨てきれない牧師がえらそうに信徒に何を語るのでしょうか。



 
2005年当時、苦しんでいる私達を捨てて多くの牧師たちが「牧会倫理」「他教会不介入」などと馬鹿なことをいって皆逃げて行きました。牧師でもない、老夫人の盛山和子さんがたった一人で、この9年間心壊された私達を一人一人集め、その傷ついた一人一人に愛を送り寄り添い続けた事実を前にして牧師たちは何を感じ何を思うのでしょうか?


盛山さんは教えます。

「99人が反対していても、たった一人の人が正しければ、その一人の人に付きなさい。数や大きさに負けてはいけない。おそれることはないのです。どんなに苦しくても辛くてもたたかれても、正しいことをやり続けていけば、きっと協力してくれる人が現れます。」私は盛山さんのその言葉に勇気をもらい励まされ続け進んできました。


次は牧師さんたちが姿勢を示す番だと私は思っています。
牧師が「牧会的配慮」などと馬鹿なことを平気でいい信徒に嘘をつく、信徒を騙すことが平気、それに慣れきっている、その嘘を正統化している。そんな牧師が多いようですが、どなたが本物の牧師なのか、聖書を語るにふさわしい牧師なのか私はしっかりと見ていきたいと思っています。

しかし、人から指摘される前に自分自身で自分の心に暗闇を感じたのなら、その時点で身を引いて頂きたいものです。

ここで曖昧にして生きていると儀間の息子儀間盛人のようにその嘘が身に付き、その内、色々な欲望が頭をもたげはじめます。

いけないことはいけないとはっきりNOと言える牧師になって頂きたいものです。





 

0 件のコメント:

コメントを投稿