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沖縄リバイバルチャーチ 被害体験ブログ
2014年5月21日水曜日
2012年9月25日火曜日
犯罪者心理を説明する儀間盛人
写真右側、戸惑いの表情で写真に納まっているのが、沖縄リバイバルチャーチ主任牧師儀間盛夫の長男・副牧師の儀間盛人である。
今回も昨年削除された私のブログ記事の中から、一つの記事を掘り起こしてみようと思います。
それは2006年2月26日儀間盛人が語った礼拝メッセージを2009年5月11日にブログ記事としてアップしたものです。
改めて読み返すと教会で語られる内容ではないし、犯罪者の心理についての解説と実体験から得た知識を自ら再確認しているとしか思えない内容となっている。
2005年3月教会用地地主であった山田ひろみの祖母様の逝去に対して儀間盛夫が牧師としてあるまじき行動をとったのです。信徒である山田の祖母の葬儀を儀間盛夫は拒否・拒絶した揚句、信徒を使って葬儀妨害までした。このことが事件の引き金となって、沖縄リバイバル教会の異常性とカルトの全貌を私は真っ向から体験することとなったのです。
2006年2月というのは、沖縄リバイバル教会の実態が沖縄県内ほとんどの教会に知れ渡り、その被害と真実の情報を覆い隠すために儀間盛夫は嘘に嘘を重ね続け、弁解行脚を必死行っていたころなのです。
ブログ読者のみなさんへ、そのような状況背景を踏まえていただき、以下、2006年2月26日儀間盛人が語ったものに目を通してくださいますように。
去年、削除されたブログの再現 第二弾
**********
2009/05/11(月)am10:43
2006年2月26日
「犯罪者は法律をよく知っている」儀間盛人
私達は法律の下にいるということは、私たちが罪を犯す存在であるということを前提としています。
罪を犯す者、犯罪者にだけ法律は適用されます。
この世において法律を最もよく知っているのは弁護士とか裁判官とかいるでしょうが、
それ以外の人で法律をよく知っているのは「犯罪者」だと思います。
普通の人はどんな法律があるのかわからないですけれども、法を犯さない限り自分に
適用される事がないのです。
それに比べると犯罪者は法をよく知っています。
どんな刑罰があるのか。
何をすればどれだけの罰があるのか。
そういうふうに、犯罪者あるいは、アクシデントを起こした人は法律をよく知っています。
交通事故を起こした場合、2か月~3カ月取り組む中で、誰よりも道路交通法をよく知っているとかですね・・・。
また、いろんな財産とか、または建物の建築の中でトラブルがあった場合に、
そういったことの中にある場合ですね、法の知識を私達は身につけます。
後でその罪を容認してしまうと悪魔が私達を攻撃してきます。
「お前、嘘をついたじゃないか!
嘘をついてそういった偽装工作 をしたじゃないか!
そして、それを人のせいにしたじゃないか!
そして、それを長く持ったではないか!
それを持って悪意を持ったではないか!」
と、どんどん悪魔は攻めてきます。
ですから私たちは、ほんとに罪とそれを示す律法の下にいる訳なんですね。
これが私達の生れ持っての姿なんです。
死ねばすべての関係がすべて終わるというふうに聖書は言っています。
まあ、このたとえ話のように夫を現す律法がなくなれば、それはそれで私達は楽なんですけども、律法というのは神様が定めたものであり、主が再び来る日まで一点もすたれることなく、この地に存在すると聖書は書いています。
じゃあ、誰が死ななきゃならないか・・・私たちが死ななければなりません。
夫が律法であり、妻が私たちを表すならば、両者の関係をひどい関係を絶つためには、
私達自身が死ぬしかありません。
だから聖書はいっています。
ローマ6章4節に
私たちはキリストの死にあずかるバプテスマによってキリストと共に葬られたのです。
ローマ人への手紙5章20節には、
律法が入って来たのは違反が増し加わるためです。
しかし罪の増し加わる所には恵みは増し加わりましたと書いてある。
違反が増し加わる。
つまり、あれはしていけない、これはしていけないと人間が聞くと人間の弱い自我というのは、これはしていけないというと、実はしたくなるものなんです。
ですから自由ではないんです。
律法は束縛します。
律法は罪を示します。
そして律法は罪を利用します。
罪は罪を利用して私達を責めます。
人間を責めます。
そして命に至らせるのではなく、無残にも死を宣告するものです。
儀間盛人のメッセージはここまで
*************
<私の解説>
儀間盛夫の息子、盛人(もりと)は自らの不祥事、犯罪行為は彼が語ったこの礼拝メッセージからも判るようにすべてを自覚し実行していることがうかがえる内容になっていると思います。
もりとの両親の専門職である「保険代理店」(現在も有限会社ジ―エム保険を経営している。)の知識から、交通法はお手のものですと宣言している。
弁護士と裁判官をやたら気にしている盛人の心の動きも文脈から見てとれる。
どれだけの刑罰、閥(ばつ)があるのか、盛人はどのようにすれば法の網の目をくぐりぬけることができ、刑罰を免れることができるのか、を常に考えていることが分かる。また、彼らが法律を悪用している様子がうかがえる。
教会会計隠蔽
貸店舗家賃領収書偽装問題
財産、建築トラブル
海外セミナー旅費搾取問題
納骨堂建築騙し事件
納骨料金詐欺事件
一憶二百万円詐欺事件
教会用地事件二件
儀間盛夫の自宅建築
弟儀間光夫の自宅建築
山田ひろみの実家を売り払った事件
山田の権利証騙し取り事件など、
災害地への不明献金の数々
表に出ているだけでも多数に渡る。
まだまだ隠されている不祥事は相当あるという情報も得ている。
いつまでもその歪んだ栄華は続くと儀間一家は信じているだろう。
「ひどい関係を断つためには、死ぬしかない」と副牧師儀間盛人は語っているが、誰が死ぬしかないというのだろうか?
「罪が増し加わるところに恵みが増し加わる」と恵みある教会を利用してあなた方は罪を増し加え続けているのです。
2009年5月11日**********
以上が掘り起こし記事の全文です。
ここからは2012年9月21日の書き込みとなります。
今から6年半前、2006年2月26日の礼拝の中、犯罪者について語っていた盛人だが、“法の知識を私達は身に付けます。”と、途中犯罪者から私達という表現に代わっていますね。
<私の解説>を読み返すと三年前、2009年当時の自分を知ります。
ややこしくなりますが、ブログアップしたのは、儀間盛人が語った日から三年あまり過ぎた2009年5月11日です。
2009年5月11日は裁判判決日の前々日です。
つまり、その二日後2009年5月13日、私と山田は敗訴宣告(判決)を聞いたのです。
真実の訴えは届きませんでした。
しかし沖縄リバイバル教会主任牧師儀間盛夫・副牧師儀間盛人の偽証した公的文書は確実に記録保存することができました。
今後彼らの嘘は、一つ一つ明らかにされる事でしょう。
あのころを振りかえると色々な思いがあります。
いいたいこと書きたいことも山ほどありますが・・・。
今日はこの辺で終りたいと思います。
2012年8月30日木曜日
消えたブログから・・
私は被害体験を公表するブログを2007年よりは始めていました。
カルト教会沖縄リバイバルチャーチの実態を詳細に五年間書き続けてきた私のブログが、昨年突然、何の前ぶれも無く消されてしまいました。
今回からときおり昨年消された私の過去ブログを一つ一つ、掘り起こしふたたび公表して行きます。今回はその第一弾として、2009年4月26日に掲載した「一憶円詐欺事件の食い違い発言!」記事を掲載します。
***************
削除された過去ブログの再現 第一弾として
一憶円詐欺事件・新聞記事と決定的に
食い違う儀間盛夫の言動
1997年3月~1998年1月までの間に、儀間盛夫牧師は
長一夫詐欺グループに一憶二百万円をだまし取られたと新聞に
掲載されています。実際に被害額はもっと高額であるはずだが
隠蔽されている。
裁判資料「甲C大3号証の2」沖縄タイムス2004年7月16日(金)
の記事によると、1997年4月第一回目 三千万円の金銭授受が
あったと書かれています。
その後、1998年1月までの9ヶ月の間に7回に分けて七千二百万円を長一夫グループに儀間は現金を渡したとされています。
新聞には合計8回の金銭授受が行われ一億二百万円を詐欺グループに渡したとある。
※最後の金銭授受は1998年1月と新聞には書かれている。
沖縄リバイバルチャーチ主任牧師儀間盛夫は金銭授受は
1998年1月が最後だと刑事事件裁判の中で証言したのです。
しかし儀間盛夫は新聞記事に書かれている最後の金銭授受とされる1998年1月から、更に5か月たった、同年6月22日(月)沖縄リバイバル教会において新聞記事と全く異なる行動をとっていたのです。
それは6月22日、その日「会堂建築説明会・祈り会」と称して特別集会を開いていたのです。
あの当時何も知らない信徒に向かって、そこで初めて儀間盛夫は「会堂建築の手付金三百万円を支払います。」と私達信徒に向かって発表したのです。
驚くことに「会堂献金を引き続き行う」といい、「新会堂建築用地2600坪の土地購入のための手付金三百万円である」と悪びれることなく嘘をついたのです。
既に一億円以上もの途方も無い多額の献金を既に騙し取れていながら、「初めての支払いをします。」とぬけぬけと言い放ったのです。
一憶円以上も払って後に支払うお金を、「手付金」というのですか?
手付金というのですから、一番最初に支払うお金のことだということは、私にもわかります。
当時何も知らない無知で未熟な私達は「いよいよ、教会堂建築が始まるんだな!!」と皆で喜びました。
※付記
土地を教会で用意できれば、長一夫が無償で教会堂を建ててあげる。要するに長一夫が会堂を献品する約束だと儀間も言っていたし、信徒の前で長一夫もそう言っていた。
私達教会員は「土地代」の「手付金」を支払うんだと信じた。
儀間牧師の発表を聞いて、いよいよ、私たちが捧げてきた献金が動くんだと身の引き締まる思いがしたことを鮮明に記憶している。
その日、1998年6月22日「会堂説明会」の中で新会堂の大きくて立派な模型も展示された。
私達教会員は皆一列に並びドキドキしながら新会堂の模型を眺めた。
又、儀間盛夫は「教会堂視察」と称してアメリカ・韓国・ハワイ旅行に頻繁に行っていた。
儀間夫婦、長一夫・勝子夫婦、事務の屋比久宏、設計士と言われる大谷も一緒だ。
彼らは韓国で撮った写真を披露し、チョー・ヨンギと写した写真を自慢げに見せていた。
それからというもの、更に会堂献金に拍車がかかった。
しかし、それから5カ月後の1998年11月、突然、緊急集会があるとして教会から招集がかかる。
その緊急集会の中で儀間盛夫は言った。
「本物のプロの詐欺師に騙された。」
「長一夫はプロの詐欺師だった。」
「会堂建築資金一憶数千万円をだまし取られすべてを失った。」
と教会員に初めて明かしたのであった。
儀間盛夫は、この詐欺事件を発表する直前の一ヶ月間、アメリカ~南米~ハワイを回る長期旅行から戻ったばかりだった。
儀間盛夫は教会員の前で「私は自殺も考えた。」
「自殺してお前の生命保険で教会に一憶円をもどせ!!と耳元で悪魔のささやきも聞こえた。」
といって、泣き崩れんばかり、憔悴しきった様子を信徒に見せていた。
ほとんどの信徒は儀間に同情的であった。
しかし、一人だけ異議を唱えた信徒がいた。
儀間盛夫はある日の木曜日祈祷会の中で突然、公然と悪びれる様子も一切無く集まった信徒に向かって言い放った。
「私は一人の信徒から攻撃を受けている。
その信徒は今まで長年神様に捧げてきた十一献金を全部返せ!!と要求してきている。その人にはサタンが入った!」といった。
教会内は騒然とした。
皆、恐怖に震えた。
牧師を攻撃した信徒が誰なのか、すぐに一人の熱心な信徒の名前が取りざたされた。
皆、その人に距離を置いた。
誰も彼に近づかなくなり、彼と彼の家族は無視され
孤立させられた。
儀間盛夫はその人と一度も話し合うことも無く、その人とのそ家族は除名処分になった。
とても酷い扱いだったことを覚えています。
あの頃の私は、何が何やらわからず混乱していた。
「何かがおかしい」と感じていた。
しかし、怖くて真相を聞けなかった。
私はひどい扱いをされた信徒も良く知っている。
しかし、聖書を語る牧師が「嘘」をつく??
これも私には考えられないのであった。
ひどい扱いを受けたSさんの元へ何度か行ってみた。
しかし、Sさんは家族同様に付き合っていた信徒達に
裏切られた。結果、私の事も教会のスパイだと思い警戒したようだ。
Sさんは教会で何があったのか一切語らなかった。
私自身も切りだす勇気がなかった。
Sさんが教会から離れたのが1998年。
それから7年後、2005年Sさんと同じことが私の身の上に
起こったのです。
後悔してもはじまらない、今ならSさんの痛みがわかる。
先日たまたま教会で記録していたノートを調べていたら、1998年6月22日会堂建築の「手付金3百万円」が目に飛び込んできた。
2004年4月26日の新聞に書かれている記事の内容と、儀間のやっていたことが全く違う「偽証」であることがわかりました。
教会記録ノートには・・・
「1998年6月22日付けで、手付金3百万円を支払うことを儀間盛夫が語った」ことがハッキリ書かれています。
刑事事件の裁判でも儀間盛夫は堂々と嘘をつき通したのです。
結果、儀間盛夫は被害者となり長一夫は4年間服役することになるのです。
長一夫は儀間盛夫を騙し、儀間盛夫は信徒と裁判官検察官を騙し、世の中を騙し被害者になりすましたのです。
どちらが本物の詐欺師なのでしょうか??
あの当時、「長一夫は詐欺師だ」と儀間牧師に知らせた信徒がいました。
しかし、儀間盛夫は他教会から移って来た女性信徒の言葉を無視し握りつぶしたのです。
その挙句儀間盛夫はその女性信徒の事を「霊的におかしな人」だと言いふらし彼女の発言を皆が無視するように仕向けたのです。
儀間盛夫は初めから長一夫が詐欺師であることを知っていたのです。
要するに儀間盛夫は長一夫と手を組み何か(金儲け)をしようとしたが、長一夫に裏切られたというのが真相ではないでしょうか。
詐欺にあって失ったとされる一億二百万円は、未だ戻っていません。
儀間盛夫は私たちの裁判で、尋問の際「被害額の10%戻った」と証言していたが、あの証言は嘘です。
儀間盛夫は刑事事件の裁判の中では、違う金額を証言しているからです。
その証拠資料も私は持っています。
沖縄リバイバルチャーチ主任牧師・儀間盛夫という男は
平気で人を騙す嘘つき牧師です。
儀間盛夫の語ったメッセージ記録ノートにハッキリと1998年6月22日「手付金3百万円」とあります。
人はだませても神様は騙せません。
いつか必ず真実は明らかになります。
*********
以上は2009年4月26日に書いた記事です。
2012年7月21日土曜日
つづき・・・「眠れない」
ここのところ証人尋問前後の事を書いています。
前回、前々回からのつづきです。
************
証人尋問の前夜あまりの緊張で眠れなかった。
当日、私も山田も精一杯一生懸命に真実を
一つ一つ証言しました。傍聴人の方々が理解するしない関係なく、
精一杯自分自身の気持ちを声にすることができました。
前日から眠てなかったので疲れがどっと出ていた。
その晩、応援して頂いている方々に証人尋問の
状況を報告した。
それを終えても、疲れてはいるが眠気がこないのです。
娘に付き合ってもらい近くのミスタードーナツに行き
話したいことがたくさんあって私はしゃべり続け閉店までいた。
その晩、深夜に入ると完全に脳が昼間の状態であった。
身体の疲れも全く感じなくなっていました。
頭がさえて眠れないというのはこういうことなんだと思いました。
眠れないので私は証人尋問の詳細を記憶をたどりながら書きつづり一夜を過ごしました。
今日は証人尋問の場に立ち、大変な日だったんだから眠れないのは当然だと自分でも納得していた。
しかし驚くことに、次の日も同じように全く眠気が来ないのでした。
自分自身もその状況に非常に驚きました。
裁判の原告になるというのも日常的なことではないのですが、
裁判の中で私は真実を自分自身の言葉で緊張の渦の中、弁護士の質問、裁判官の質問に答えました。
異常事態の中にいると、予想もつかない異常なことが起こることも知りました。
人間のこころとからだが一つであることを改めて知るのでした。
結果、まるまる三日間寝ずに過ごしました。
三日三晩起き続けるなんて初めての体験でした。
このような体験は私の人生の中でもう二度とないでしょう。
いや、あってほしくはないことです。
今でも時々振り返る。実にあの頃は苦悩から苦悩の日々であった。
あの異常事態時、私の心が壊れそうで壊れなかった訳は、
ただ一つ。
どんな時でも痛みを分かち合える人が
たった一人いたからです。
見放さなすことをせず、見捨てることをしない。
「痛いなあ」
「辛いなあ」
と感じ声も出せず黙っていると、
「痛いよねぇ」
「辛いよねぇ」
「でも大丈夫ですよ。」
「今の苦しみも必ず終わりが来るのよ」
「苦しくても一生懸命一生懸命対処していると、
きっと良いことが待っていますよ。」
「問題から逃げてばかりいると、対処できないほどに問題は大きくなってかえってくるのよ。」
どんな時でも私の精神はその都度必ず回復していった。
私は絶対裏切られない、私は絶対見捨てられない。
私は一人ぼっちではない。
苦しみの中にあっても、絶体絶命の時でも
常に私は一人ぼっちではなかったのです。
多数は背を向けても、多数の冷たさを難なく越える温かさに
いつも私はつつまれていた。
「あなたは孤立します。」と、崖っぷちにいる私の背中を
押し続ける卑怯者の牧師もいた。
しかし、どんな時でも私は孤独の涙をのむことは
一度もなかった。
苦しみ痛みの中でも「安心」があった。
辛くても「大安心」があった。
私の精神がズタズタに傷つき血みどろ血まみれになる時でも
私の流した血をいつもいつもしっかりやさしく拭いてくれる人が
ただ一人いました。
どんな惨状現場にも理不尽を受けた時でも、
寄り添ってくれる人がいたから何もこわくなかった。
だから今私はここにいます。
「何事にも負けない!!」といえるほどに
私はとても強くなりました。
「安心」を与え、どんな時でも寄り添ってくれる人が
あなたにはいますか?
強くてやさしく寄り添ってくれる人がいれば、人はどんな病をも乗り越えて
生きていけます。
そのように弱っている人達に寄り添い続けている盛山和子さんがいます。私は盛山さんのような人にになりたい。盛山さんは人生の師であり、本物の愛と信仰を教えてくれました。
前回、前々回からのつづきです。
************
証人尋問の前夜あまりの緊張で眠れなかった。
当日、私も山田も精一杯一生懸命に真実を
一つ一つ証言しました。傍聴人の方々が理解するしない関係なく、
精一杯自分自身の気持ちを声にすることができました。
前日から眠てなかったので疲れがどっと出ていた。
その晩、応援して頂いている方々に証人尋問の
状況を報告した。
それを終えても、疲れてはいるが眠気がこないのです。
娘に付き合ってもらい近くのミスタードーナツに行き
話したいことがたくさんあって私はしゃべり続け閉店までいた。
その晩、深夜に入ると完全に脳が昼間の状態であった。
身体の疲れも全く感じなくなっていました。
頭がさえて眠れないというのはこういうことなんだと思いました。
眠れないので私は証人尋問の詳細を記憶をたどりながら書きつづり一夜を過ごしました。
今日は証人尋問の場に立ち、大変な日だったんだから眠れないのは当然だと自分でも納得していた。
しかし驚くことに、次の日も同じように全く眠気が来ないのでした。
自分自身もその状況に非常に驚きました。
裁判の原告になるというのも日常的なことではないのですが、
裁判の中で私は真実を自分自身の言葉で緊張の渦の中、弁護士の質問、裁判官の質問に答えました。
異常事態の中にいると、予想もつかない異常なことが起こることも知りました。
人間のこころとからだが一つであることを改めて知るのでした。
結果、まるまる三日間寝ずに過ごしました。
三日三晩起き続けるなんて初めての体験でした。
このような体験は私の人生の中でもう二度とないでしょう。
いや、あってほしくはないことです。
今でも時々振り返る。実にあの頃は苦悩から苦悩の日々であった。
あの異常事態時、私の心が壊れそうで壊れなかった訳は、
ただ一つ。
どんな時でも痛みを分かち合える人が
たった一人いたからです。
見放さなすことをせず、見捨てることをしない。
「痛いなあ」
「辛いなあ」
と感じ声も出せず黙っていると、
「痛いよねぇ」
「辛いよねぇ」
「でも大丈夫ですよ。」
「今の苦しみも必ず終わりが来るのよ」
「苦しくても一生懸命一生懸命対処していると、
きっと良いことが待っていますよ。」
「問題から逃げてばかりいると、対処できないほどに問題は大きくなってかえってくるのよ。」
どんな時でも私の精神はその都度必ず回復していった。
私は絶対裏切られない、私は絶対見捨てられない。
私は一人ぼっちではない。
苦しみの中にあっても、絶体絶命の時でも
常に私は一人ぼっちではなかったのです。
多数は背を向けても、多数の冷たさを難なく越える温かさに
いつも私はつつまれていた。
「あなたは孤立します。」と、崖っぷちにいる私の背中を
押し続ける卑怯者の牧師もいた。
しかし、どんな時でも私は孤独の涙をのむことは
一度もなかった。
苦しみ痛みの中でも「安心」があった。
辛くても「大安心」があった。
私の精神がズタズタに傷つき血みどろ血まみれになる時でも
私の流した血をいつもいつもしっかりやさしく拭いてくれる人が
ただ一人いました。
どんな惨状現場にも理不尽を受けた時でも、
寄り添ってくれる人がいたから何もこわくなかった。
だから今私はここにいます。
「何事にも負けない!!」といえるほどに
私はとても強くなりました。
「安心」を与え、どんな時でも寄り添ってくれる人が
あなたにはいますか?
強くてやさしく寄り添ってくれる人がいれば、人はどんな病をも乗り越えて
生きていけます。
そのように弱っている人達に寄り添い続けている盛山和子さんがいます。私は盛山さんのような人にになりたい。盛山さんは人生の師であり、本物の愛と信仰を教えてくれました。
2012年7月5日木曜日
追加文
前回、証人尋問の中で沖縄リバイバル教会主任牧師・儀間盛夫
のありえない行動を記述しましたが、今でも思い出すだけで怒りを
抑えきれません。
私と山田の精神を恫喝し抑圧をかけ動揺させ混乱させる力と
影響力が、まだまだ自分に残っていると勘違いした大馬鹿者の
儀間盛夫が裁判所の傍聴席最前列にふんぞり返っているのでした。
裁判官の前であの様な大胆不敵な態度をとることができるのですから、
相当な悪党であることがわかります。
儀間盛夫が私をにらみつける目を見た瞬間、この男のふてぶてしさに、
私は確かに驚きましたが、しかし、脅威を感じることは全く無く、
いいようのない怒りが爆発し更なる怒りが私の中でこみ上げてくるのでした。
儀間盛夫の薄汚い視線に対し、私は全身全霊の力を込め全神経を集中させ
「お前の悪は絶対に許さないぞ!!」
という義憤の怒りを全部全部たたきつけてやろうと全神経を集中させ儀間の
悪に対して渾身の力を込めて込めて私は儀間盛夫をにらみ返したのでした。
何度文章にしても、その都度色々な痛みや思いが浮かび
上がってきますので、その時々の心を素直に
書きしるすだけなので書きやむことはありません。
時間と共にその表現や言葉は変わっていくのでしょうが、
湧きでてくる怒りは今も変わることはありません。
私の怒りに終止符は打てないし、
それを終わらせることはできません。
これらの記述が終わる時、もしその時が来るとしたら
それは沖縄リバイバル教会主任牧師儀間盛夫、副牧師儀間盛人が
被害者をつくらなくなった時です。
前回のもれた文書にもどります。
その前夜、私は全く睡眠をとることができませんでした。
人生初めての体験であり、裁判の原告に自分がなろうとは
想像もしたことがなかったのはいうまでもありません。
実にテレビや新聞でしか知ることの無かった世界に
自分自身が飛び込んでいるのですから、それだけでも
普通の人なら気が動転し眠れなくなるのは珍しいこと
ではないと思います。
次の記事に続きます。
のありえない行動を記述しましたが、今でも思い出すだけで怒りを
抑えきれません。
私と山田の精神を恫喝し抑圧をかけ動揺させ混乱させる力と
影響力が、まだまだ自分に残っていると勘違いした大馬鹿者の
儀間盛夫が裁判所の傍聴席最前列にふんぞり返っているのでした。
裁判官の前であの様な大胆不敵な態度をとることができるのですから、
相当な悪党であることがわかります。
儀間盛夫が私をにらみつける目を見た瞬間、この男のふてぶてしさに、
私は確かに驚きましたが、しかし、脅威を感じることは全く無く、
いいようのない怒りが爆発し更なる怒りが私の中でこみ上げてくるのでした。
儀間盛夫の薄汚い視線に対し、私は全身全霊の力を込め全神経を集中させ
「お前の悪は絶対に許さないぞ!!」
という義憤の怒りを全部全部たたきつけてやろうと全神経を集中させ儀間の
悪に対して渾身の力を込めて込めて私は儀間盛夫をにらみ返したのでした。
何度文章にしても、その都度色々な痛みや思いが浮かび
上がってきますので、その時々の心を素直に
書きしるすだけなので書きやむことはありません。
時間と共にその表現や言葉は変わっていくのでしょうが、
湧きでてくる怒りは今も変わることはありません。
私の怒りに終止符は打てないし、
それを終わらせることはできません。
これらの記述が終わる時、もしその時が来るとしたら
それは沖縄リバイバル教会主任牧師儀間盛夫、副牧師儀間盛人が
被害者をつくらなくなった時です。
前回のもれた文書にもどります。
その前夜、私は全く睡眠をとることができませんでした。
人生初めての体験であり、裁判の原告に自分がなろうとは
想像もしたことがなかったのはいうまでもありません。
実にテレビや新聞でしか知ることの無かった世界に
自分自身が飛び込んでいるのですから、それだけでも
普通の人なら気が動転し眠れなくなるのは珍しいこと
ではないと思います。
次の記事に続きます。
2012年6月19日火曜日
2012年6月15日金曜日
傍聴席から威圧する偽牧師・儀間盛夫
沖縄リバイバル教会を私と山田が訴えた裁判から早いもので3年が経過しました。
実にあの時は何もかもが大変で・・大変で!!とにかく大変で良く生きていたなと今になると思えます。
儀間盛夫という沖縄リバイバル教会の主任偽牧師の悪事を知った山田と私は盛山和子さんに守られ、助けられ、支えられ、言葉で現せないほどの苦境をギリギリの精神状況で乗り越えてきました。裁判の最中の自分の心境を思い出すにも断片的で詳細を思い出すことには大変苦しみを覚えます。
しかし、頻繁に頭をよぎる異常な異常な光景があります。
そのことはクッキリ、ハッキリ私の心と脳に深く深く刻みこまれました。いつになっても私の脳裏からあの異常な光景は消えることはありません。
その実に々に異常な光景とはこうです。
私ウエズと山田の証言する証人尋問の日のことです。私も山田も何日も前から緊張が続いていました。裁判が始まる直前まで山田は気分が悪くおう吐を繰り返していました。私ウエズは喉が異常に乾き頻回に水分補給を繰り返すのですが、すぐに喉がカラカラになりながらどんな尋問を受けるのだろうかと不安もあり、ただただ真実を判ってもらいたい一心でしっかり答えようと自分自身に言い聞かせていました。
山田ひろみは傍聴席に一番近い席に腰かけていました。山田は私の方を向いていましたので傍聴席に半分背を向ける様な姿勢でいました。山田が先に証人尋問を受けるので、私は山田を落ち着かせようと山田の方に身体を傾けながら話しかけたりしていました。私の方は傍聴席の方に身体を向ける形でした。
その時私は、傍聴席の方向から強い殺気にも似た異様な視線を感じたのでその方向へ目を向けました。するとなんとなんと傍聴席最前列の中央から少し右寄り、それは私と山田の真ん前にです。あのどうしようもない嘘つき牧師、儀間盛夫が両足を投げ出し、両腕を組み、ふてぶてしい態度で傍聴席の最前列に一人だけ陣取るようにいなおり座ってるではないですか。
最前列は記者席となっているのにです。私と山田に一番近い所に儀間はふてぶてしく腰かけ、私と山田を睨みつけているのでした。儀間盛夫の欲に満ちた顔が私の眼に飛び込んで来ました。儀間は私の目をじっとじっと睨み続けていました。儀間の気持ち悪い悪意に満ちた眼に、私は言いようのない怒りが湧きあがって来ました。
儀間盛夫は一度も話し合いに応じず側近を使い私達を虫けらのように追い払いました。自らの悪事を隠蔽するために私と私の家族を信者への情報遮断目的で除名し、また私の息子を警察に突き出すと脅し続けてきた儀間が私の目の前にいました。最大最悪の卑怯者、沖縄リバイバル教会の主任牧師儀間盛夫が裁判の場で私達を威圧する目的で私達の前に出てきたのです。
その汚れた精神と卑怯な態度に本当に本当に怒り爆発する私がいました。裁判の場においてもマインドコントロールの手法を使い、私と山田を押しつぶそうとするその精神の異常さに言いようのない怒りが私の中で渦巻いていました。
また、マインドコントロールがまだまだ効くと儀間盛夫が思い込んでいると、私は分かりました。長年の儀間に対する恐怖心を未だに私たちが消せないでいると思っている儀間が私の目の前にいたのです。儀間の欲望に満ちたドロドロとした視線が私に冷たく突き刺さりました。
儀間の表情はあたかも獲物を捕らえた獣のように意気揚々と自信満々で憮然とした表情の儀間盛夫がいました。私は視線の先の悪意に満ちた儀間盛夫に対し全神経を集中し、今迄の長年の怒りを視線に込めぶつけました。
その時、私は心の中でこう叫んでいました。
「お前のマインドコントロールが未だに効くと思っているのか!!お前の精神操作はもう私には全く効かないんだよ、馬鹿者が。」と儀間の濁った眼を微動だにせず、まっすぐ睨みかえしている私がいました。その時間がどれくらいだったのでしょうか、すると儀間盛夫の方からすごすごと目を伏せるのでした。
儀間が傍聴席で立っていたとするなら仁王立ちです。いえば仁王座りという表現があればそれがぴったりです。私と山田を威圧し、まともで真実な証言をさせまいと邪魔をし妨害するものであることは鈍感な私にでも容易にわかりました。
儀間盛夫という卑怯な男が沖縄県南部牧師会に所属し続けています。南部牧師会は儀間盛夫の悪事を容認し擁護する仲間たちです。
裁判に儀間擁護の陳述書を出した事実は、南部牧師会が存在し続けるあいだ永遠に追及され問われ続けるのです。
南部牧師会のどなたも無関心で責任を取ろうとしないのですから、儀間盛夫同様卑怯者の集団でしかないのです。
彼らに牧師を名乗る資格があるのでしょうか?
神さまは、悪を行い悔い改めようとしない者とその仲間たちを絶対そのままにはなさらないと私は信じています。
無知で未熟であった私は現在深く深く反省しています。私も一度は沖縄リバイバル教会というカルト集団に所属し、その仲間の一人でした。儀間盛夫の拝金主義を支えてきた一人なのです。
私は加害者としての罪を償うために、また、自分の愛する子供たちに二次被害を負わせてしまった罪も深いものがあると思います。
その罪を償いつつも、更に罪を犯し続けている沖縄リバイバル教会主任牧師・儀間盛夫、妻の儀間淳子、副牧師の儀間盛人、妻の儀間その子、側近の屋比久宏らの行ってきた悪事、今も信者に対して続けられている宗教的精神操作マインドコントロール、その他の反社会的行為を絶対に見逃しはしません。
沖縄リバイバル教会はオーム真理教と何ら変わらない危険な集団なのです
そして沖縄リバイバル教会儀間盛夫擁護の陳述書を出した
南部牧師会会長喜納政弘・単立牧師会会長根間民雄・
有賀喜一・大橋秀夫を私は生涯糾弾し続け隠された事実を明らかにしていきます。
今後、沖縄リバイバル教会の被害者が出なくなるまで私は生涯警鐘を鳴らし続けていきます。
このことを成すためにイエス様が送ってくださったのは、牧師でもない、宣教師でもない、伝道師でもない、たった一人の痛みを持った小さき羊、盛山和子さんだったのです。ご自分を犠牲に傷を負った羊をご年配であるにもかかわらず、盛山和子さんがたった一人で命をかけて負傷者を守り助けてくださっています。
あれから9年が経ち傷を負った羊たちは、迷いながらも悩みながらも、必死に懸命に、それぞれの一歩を踏み出し声を上げることができるようになっています。
多くの牧師たちに良心のかけらが残っているのなら、我を振り返り恥を知るべきです。
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