2012年7月21日土曜日

つづき・・・「眠れない」

ここのところ証人尋問前後の事を書いています。

前回、前々回からのつづきです。


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証人尋問の前夜あまりの緊張で眠れなかった。

 
当日、私も山田も精一杯一生懸命に真実
一つ一つ証言しました。傍聴人の方々が理解するしない関係なく、
精一杯自分自身の気持ちを声にすることができました。

前日から眠てなかったので疲れがどっと出ていた。

その晩、応援して頂いている方々に証人尋問の
状況を報告した。

それを終えても、疲れてはいるが眠気がこないのです。

娘に付き合ってもらい近くのミスタードーナツに行き
話したいことがたくさんあって私はしゃべり続け閉店までいた。

その晩、深夜に入ると完全にが昼間の状態であった。
身体の疲れも全く感じなくなっていました。

頭がさえて眠れないというのはこういうことなんだと思いました。
眠れないので私は証人尋問の詳細を記憶をたどりながら書きつづり一夜を過ごしました。

今日は証人尋問の場に立ち、大変な日だったんだから眠れないのは当然だと自分でも納得していた。



しかし驚くことに、次の日も同じように全く眠気が来ないのでした。
自分自身もその状況に非常に驚きました。

裁判の原告になるというのも日常的なことではないのですが、
裁判の中で私は真実を自分自身の言葉で緊張の渦の中、弁護士の質問、裁判官の質問に答えました。


異常事態の中にいると、予想もつかない異常なことが起こることも知りました。
人間のこころからだが一つであることを改めて知るのでした。

結果、まるまる三日間寝ずに過ごしました。

三日三晩起き続けるなんて初めての体験でした。

このような体験は私の人生の中でもう二度とないでしょう。

いや、あってほしくはないことです。

今でも時々振り返る。実にあの頃は苦悩から苦悩の日々であった。

あの異常事態時、私の心が壊れそうで壊れなかった訳は、
ただ一つ。

どんな時でも痛みを分かち合える人が
たった一人いたからです。



見放さなすことをせず、見捨てることをしない。

「痛いなあ」
「辛いなあ」
と感じ声も出せず黙っていると、


「痛いよねぇ」
「辛いよねぇ」

「でも大丈夫ですよ。」
「今の苦しみも必ず終わりが来るのよ」
「苦しくても一生懸命一生懸命対処していると、
きっと良いことが待っていますよ。」

「問題から逃げてばかりいると、対処できないほどに問題は大きくなってかえってくるのよ。」


どんな時でも私の精神はその都度必ず回復していった。



私は絶対裏切られない、私は絶対見捨てられない。

私は一人ぼっちではない。
苦しみの中にあっても、絶体絶命の時でも
常に私は一人ぼっちではなかったのです。

多数は背を向けても、多数の冷たさを難なく越える温かさに
いつも私はつつまれていた。
「あなたは孤立します。」と、崖っぷちにいる私の背中を
押し続ける卑怯者の牧師もいた。

しかし、どんな時でも私は孤独のをのむことは
一度もなかった。


苦しみ痛みの中でも「安心」があった。
辛くても「大安心」があった。


私の精神がズタズタに傷つきみどろまみれになる時でも
私の流した血をいつもいつもしっかりやさしく拭いてくれる人
ただ一人いました。


どんな惨状現場にも理不尽を受けた時でも、

寄り添ってくれる人がいたから何もこわくなかった。


だから今私はここにいます。


何事にも負けない!!」といえるほどに
私はとても強くなりました。

「安心」を与え、どんな時でも寄り添ってくれる人が
あなたにはいますか?

強くてやさしく寄り添ってくれる人がいれば、人はどんな病をも乗り越えて
生きていけます。

そのように弱っている人達に寄り添い続けている盛山和子さんがいます。私は盛山さんのような人にになりたい。盛山さんは人生の師であり、本物の愛と信仰を教えてくれました。







2012年7月5日木曜日

追加文

 前回、証人尋問の中で沖縄リバイバル教会主任牧師・儀間盛夫
ありえない行動を記述しましたが、今でも思い出すだけで怒りを
抑えきれません。


私と山田の精神を恫喝し抑圧をかけ動揺させ混乱させる力と
影響力が、まだまだ自分に残っていると勘違いした大馬鹿者の
儀間盛夫が裁判所の傍聴席最前列にふんぞり返っているのでした。


裁判官の前であの様な大胆不敵な態度をとることができるのですから、
相当な悪党であることがわかります。


儀間盛夫が私をにらみつける目を見た瞬間、この男のふてぶてしさに、
私は確かに驚きましたが、しかし、脅威を感じることは全く無く、
いいようのない怒りが爆発し更なる怒りが私の中でこみ上げてくるのでした。


儀間盛夫の薄汚い視線に対し、私は全身全霊の力を込め全神経を集中させ

「お前の悪は絶対に許さないぞ!!」

という義憤の怒りを全部全部たたきつけてやろうと全神経を集中させ儀間の
悪に対して渾身の力を込めて込めて私は儀間盛夫をにらみ返したのでした。


何度文章にしても、その都度色々な痛みや思いが浮かび
上がってきますので、その時々の心を素直に
書きしるすだけなので書きやむことはありません。

時間と共にその表現や言葉は変わっていくのでしょうが、
湧きでてくる怒りは今も変わることはありません。

私の怒りに終止符は打てないし、
それを終わらせることはできません。

これらの記述が終わる時、もしその時が来るとしたら
それは沖縄リバイバル教会主任牧師儀間盛夫、副牧師儀間盛人が
被害者をつくらなくなった時です。



前回のもれた文書にもどります。


その前夜、私は全く睡眠をとることができませんでした。
人生初めての体験であり、裁判の原告に自分がなろうとは
想像もしたことがなかったのはいうまでもありません。

実にテレビや新聞でしか知ることの無かった世界に
自分自身が飛び込んでいるのですから、それだけでも
普通の人なら気が動転し眠れなくなるのは珍しいこと
ではないと思います。




次の記事に続きます。