2012年3月18日日曜日

「第三回教会問題座談会、当事者に聞く」の簡単報告です。



「第三回教会問題座談会、当事者に聞く」において、今回の私は体験談ではなく、被害を受けた当事者から直に被害体験を聞いてどう感じたかなどを問いたい気持ちありましたので下記のような内容になりました。








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     2012年3月17日
          上江洌尚子
 

毎回沖縄リバイバル教会での体験を語っています。

それぞれが異なる被害を体験し、それぞれが深く心に傷を受けています。その期間も10年の者20年を越える者と様々です。その時期の年齢によっても被害は違います。

その中でも被害が最も大きく人格形成にも深く影響を与えているのが、クリスチャン2世・3世の子供たちの被害です。カルト教会の2世3世の子供たちは幼いころから心の休まる場所が無く毎日慌ただしい日々を送ってます。

家では親から間違った信仰を叩き込まれ、強要され、教会では牧師から様々な抑圧と恐怖心を植え付けられつづけるのです。

今になって思うと私も例外ではなく、とても子供たちに悪いことをしたと悔やみ、大変申しわけなく思っています。

心が痛みます。2世・3世は幼いころから、また、小学生のころから親と教会に引っ張り回されるのですから、カルト教会へ通う親を持つと子供の人生は言葉で表現できないほどとてもとても悲惨なものなのです。



沖縄リバイバル教会に10年間所属していた私の被害体験と私の心の内を語るのに最低10年かかります。

沖縄リバイバル教会ができて27年になろうかと思います。ですので、沖縄リバイバル教会被害体験は27年分あるということです。

簡単にすべてを語ることは到底できません。

去年から合わせると今日まで4回の発表をさせていただいていますが、私たちが語ったのは私達の実際の被害の何百分の一でしかないのです。


ところで、お尋ねしたいのですが、これまでの発表をお聞きになって牧師や信徒さん方がどのようなことを感じましたのか。また、どのようなことを思いましたか。

どのようなことを考えになりましたか。今日の私の発表の時間はそのことについてお尋ねしたいと思います。



重ねがさね何度も言いますが、私たちがこの9年間ただひたすら「私達のような被害者を出してはならない」という一念で進んできましたが、被害者だけでできることではありませんでした。

例え被害者が1000名いたとしてもこのような活動を9年も続けることは全くもって無理なのです。

なぜならば、マインドコントロールで思考回路が変わっているから、何人集まったとしてもそれは無理なのです。

マインドコントロールについては、最近テレビマスコミで中島知子さんの問題が取りざたされていますが、中島知子さんのような人の集団と考えれば解って頂けると思います。

被害者だけでは被害者を支え社会的に声を上げることは完全に無理なのです。


私達は力強く命がけで私達に寄り添ってくださった盛山和子さんがいてくれたから、今の私たちがいるのです。

そうでなければ、とっくの昔に私達の声はかき消され、息は途絶え、当然私達の気力も続かなかったことはいうまでも無く、私自身が良く分かることなのです。


ですから何につけ盛山さんの名前がいたるところで出るのです。


盛山さんは「もう自分の名前は出さないで・・」とずっとおっしゃいますが、盛山さん無しには私達の事を語ることはできないのです。


それほどマインドコントロールというのは、大きな社会問題なのです。


その人がその人でなくなるのです。

違う人格にかえられてしまうという、恐ろしいものなのです。

私は色々な形で私が体験したマインドコントロールの実態を語ることでマインドコントロールの問題を多くの方々に知って頂きたいのです。

しかし、こともあろうに牧師が信徒を操作する目的で宗教的精神操作マインドコントロールを行うのですから、断じて見過ごすことはできないのです。




繰り返し、もう一度、お尋ね致します。


これまで私達の発表をお聞きになって牧師や信徒さん方がどのようなことを思い、感じ、お考えになったのかをお聞きしたいと思います。

今日の私の発表の時間はそのことについて時間を使わせていただきたいと思います。







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今回の発表は根路銘みさと、新垣美智、私の三人でした。

発表後、色々な意見や感想を聞くことができました。

その中で、ある宣教師という方から次のような質問がありました。

ゴールが見えない。

ゴールはどこに置くのか。

ゴールを明確にした方がよい。



この質問に対して私が答えたことだけを書きます。

「私にとってのゴールは生涯語り続けることです。

 それが私のゴールです。」

と答えました。


うまく言葉にできませんでしたが、こと切れる寸前まで語り続けるということです。


私が答えた内容を読んで思うのではないかな?

なぜそこまでするの?

すごい執念だと引いてしまう人も多いと思います。

マインドコントロールの恐ろしさを知らない人にとって
その程度の理解しかないでしょう。

しかしマインドコントロールはそんな簡単な問題ではないのです。

人格が変えられてしまうのです。

その人がその人ではなくなるのです。

私が私ではなくなるのです。

人格破壊なのです。


そんなやり取りの中で、また その宣教師は語りました。

その方の知っている被害者は3~4年で回復したといっていましたが、そんな短期間で回復できるものではないのです。

認識が薄過ぎます。
宗教者というなら、宗教(キリスト教)の専門家、教える立場にある方なら、マインドコントロールについてもっと学ばなければならないと私は思います。

なぜならば、全国的にもそうなのですが特に沖縄において、カルト教会でのマインドコントロール被害が非常に多いからです。カルト教会で傷を受けた人たちは他の教会の牧師
に助けを求めます。

私もそうでした。

しかし多くの牧師たちはマインドコントロールを学んでいないのです。マインドコントロールを知らずして、どんなアドバイスができるのでしょうか?

金儲けをしたい偽牧師はマインドコントロールを学び実践しています。

人の心を扱う教職にある方たちは、宗教的精神操作マインドコントロールをしっかり学んでもらわなければならないと私は思っています。


最後に

私達の声・体験を顔と顔を合わせながら直接話すことの大切さを肌で感じました。このような場を数多く持ちたいと思っています。




簡単ではありますが、昨日の報告です。

2012年3月15日木曜日

2012年2月14日発表 墓販売の偽装


 



2012年2月14日
上江洌尚子

墓販売の偽装

沖縄リバイバル教会がまだ一日橋のアパートで活動をしている時代のことです。信徒数が200名を越えたころです。一憶二百万円詐欺事件とも重なりますが、儀間盛夫は教会がお墓をつくるこが決定したとして信徒に発表しました。その墓は一家族、三十万円という納骨堂への申し込みを募っていました。


話を少し戻しますが、詐欺事件についてです。


2004年新聞にもこの詐欺事件は掲載されました。沖縄タイムス、琉球新報両新聞紙面にも一億二百万円と書かれていました。なので、一億二百万円の詐欺事件だと思っている人が大半だと思います。しかし、実際は一億数千万円なのです。


 
あの当時儀間盛夫が私達信徒に対して「私は本物の詐欺師に騙されました。一憶円の生命保険に入っているから、自分が自殺すれば、この生命保険で失った一億円を教会に戻せると思い自殺も考えました。それにサタンが私の耳元で死ね、死ね自殺しろといっていた。」などと語っていました。それは詐欺事件直後、儀間はアメリカから南米を回りハワイまで足を延ばす一か月余りの旅行から戻った直後のことでした。



今考えると一億円という庶民の感覚からは想像もつかない大金をだまし取られた被害者という儀間が一か月以上も海外旅行い出かける神経が全く理解できません。また、教会員が一生懸命長年積み立ててきた一億円以上の献金を騙し取られておきながら、地球半周の長旅をするお金はいったいどこから出てくるの? 全部信徒からの献金でしょう!!

本当に今考えると子供でもおかしいと思える状況なのに、気が付かなかった自分に非常に頭にきます。旅行から帰って来た儀間はその時一憶数千万円を長一夫に騙されたと発表していました。決して一億二百万円などと切れの悪い数字ではありませんでした。一億二百万円詐欺事件と書かれた新聞を見た時私は「ん??おかしい!」この金額は違うと思いました。



 
その後、この事件に詳しい人物に私は会う機会があり、確認すると私の記憶違いではないことがわかりました。新聞では詐欺を働いた犯人は三人長一夫、長勝子ともう一人の設計士、この三人の犯行となっていました。しかし詐欺を働いたのはこの三人以外に実は他にも数名いたのでした。表に名前の出ていない人たちは警察の追及で詐欺を働いたことを認め、騙し取ったとされる金額を儀間に戻しているのです。もどされた金額を差し引いて一億二百万円となっているのです。これはその裁判にかかわった人物から私達は直接聞きました。

ですがこの詐欺事件についての詳細は未だに何一つ信徒には知らされていません。


あの新聞を読んだ世間の人たちは、人のいい世間知らずの牧師が騙されたのだろうと思ったことでしょう。騙されたと儀間が言っているだけで実際はつじつまの合わないことが山ほどあるのです。


儀間盛夫自身、長一夫より実に多くの人達を騙し続けているのですから、どちらが本当の悪党なのかわかる人はわかるのです。詐欺事件については次の機会にもっと詳しくお話しすることとします。



はじめにもどります。

本題にもなっている「墓販売の偽装」についてです。
私が沖縄リバイバル教会に通うようになった1994年~1995年は、教会がお墓をつくるので、早めに申し込むようにと儀間は信徒に考える余地を与えず即決させるように煽っていました。
一家族30万円の納骨堂として多くの信徒達が申し込みをしていました。


私はお金が無かったので御墓を購入できませんでした。
もし、私に30万円という現金があの頃あれば、形も何も無いお墓を儀間の話だけを鵜呑みにして何も考えずに30万円を渡していたことでしょう。


 あの頃はネット販売、ねずみ講式の商売が教会内でいくつもあり盛り上がっていました。墓販売と重なるように次々に儀間牧師は信徒からお金を巻き上げていましたということを教会を離れて初めて知るのでした。教会内での儀間の金集めはとどまることなく、次に新会堂建設に火が付きました。今思うとあまりにも物事の流れが速く、騙しの手口でテンポがどんどん速くなり弾みが付くという状態でした。


「あれ? へんだな??」と一瞬感じても、立ち止まって考えることができない状況でした。

結論から言いますと、

沖縄リバイバルチャーチの儀間盛夫は多数の信徒から多額のお墓代を集めたにもかかわらず、20年近く経っても約束したお墓をつくっていないのです。ただし、ここで取り上げなくてはならない問題があります。単に未だに約束したお墓をつくっていないということだけではないのです。そんな単純な騙しではないのです。ここに驚くべき事件が隠れているのです。

ありもしないお墓を売り続けていた儀間盛夫がいたのです。ちょうどその頃、アッセンブリーのニュライフチャーチ内村保牧師の教会が納骨堂を完成させていました。

嘘つき牧師、儀間盛夫が次に言った嘘はこうです。


沖縄リバイバル教会の納骨堂ができるまでニューライフチャーチの納骨堂を用意しましたと言い始めたのです。その裏に隠された儀間の騙しを知る信徒は一人もいませんでした。


2005年教会用地地主が騙されていることが明らかになった時点で、盛山さんはお墓でも信徒は騙されているのではないかと、私に納骨堂を使っている信徒に確認を取るようにいいました。


 
すると驚くべき事実が浮かび上がって来ました。それはこうです。
その納骨堂にある信徒のご主人、勿論沖縄リバイバル教会の信徒です。

その方のお骨が納められていました。

ある日突然、儀間の秘書であり教会事務員の屋比久宏から連絡があり、こう言われたそうです。あなたのご主人の納骨スペースを一時貸してくれと言われたそうです。他の方のお骨を納めるスペースが無いからという理由だったそうです。彼女はおかしいとは思ったが、何も言えず言われるがままに従ったのでした。


皆さんは自分の家族のために用意したお墓からご自分の家族のお骨を取り出して他人のお骨を自分の家のお墓にいれますか?

お墓の貸し借りをなさいますか?

平気で貸してくれという儀間の神経が普通ではないことがよく分かります。ましてや牧師を名乗っているのですよ。人の心を扱う牧師がやることではないと思いませんか。



 
あの当時、ニューライフチャーチの内村牧師に確認すると沖縄リバイバル教会はその納骨堂のスペースを三か所だけしか押さえていなかったのです。

それは実際に沖縄リバイバル教会が購入したのか、借りていたのかはわかりませんが、とにかくたった三つの納骨スペースをです。信徒数が5百名もいる教会で多数の信徒からお墓代金を集めるだけ集めておきながら納骨スペースがたった三つですよ。

儀間盛夫は人のお墓までも使い回し金儲けをしているのでした。その信徒は納骨スペースを貸してくれと言われたのです。
「一時ご主人のお骨を移動する」

「教会に断りなく納骨堂に行ってはならない」

などと言われていたのでした。


これらの詐欺行為を儀間は隠すために何をしたかというと、ニューライフチャーチでは毎年納骨堂において記念会を催しています。

納骨スペースを購入したご家族に毎年記念会の案内状を送っているのだそうです。しかし、沖縄リバイバル教会の信徒にはその通知は一度も届いていなかったのです。それはそうです。記念会の際、同じ納骨スペースに何世帯もの人達が重なることになります。そうなると大変なことです。ここは内のものです。いいえここは内のものですと混乱が起きます。当然、沖縄リバイバル教会の儀間が騙していたことがばれる訳です。お墓を購入した信徒にそのことがばれないように、儀間はニューライフチャーチの内村牧師をも騙し記念会の案内状が信徒に届かない様に手を回していたのです。勝手にニューライフチャーチの納骨堂に行ってはいけないというのは、騙しを隠すためなのです。恐ろしいことです。



 
ですからお骨を納めてあるニューライスチャーチの記念会に参加することはできず、納骨堂とは何の関係も無い沖縄リバイバル教会二階の一室に記念会と称して親族は集められ、非常に簡単な形だけの心の伴わない記念会を何年もやり続けていたのです。


盛山さんがリバイバル教会の異常に気付きマインドコントロールによって自分自身を失い物事を深く考えることができない様にされている私達に寄り添い、私達の目を開かせ儀間牧師の行っている宗教的精神操作の実態を気づかせてくださった結果、山田さんの土地も騙し取られている事を知ったのです。


お墓を購入していた信徒に儀間盛夫が裏でやっている一憶円詐欺事件の隠された事実や山田さんの財産を騙し取っていること、宗教的精神操作が行われていること、教会を商売の道具にしていることなど調べてわかった儀間盛夫の実態を話しました。その信徒にも盛山さんはやさしく寄り添い時間をかけゆっくりと、時には一日9時間もその信徒の話を聞き続ける中、その信徒はどれだけ儀間に対する間違った恐怖心で縛られ続けてきたかを改めて知るのでした。

その信徒は徐々に盛山さんに心を開き儀間に騙されていたことに気づきました。事実を知ったその信徒は亡き夫のお骨を一日も早く儀間の元から取り返し別の場所に移したいと強く思うようになったのですが、儀間に対する恐怖心を払しょくすることはできないのでした。


盛山さんは恐怖で縛られているその人に、儀間の事を「タダの嘘つきおじさん、田舎の叔父さん、教養も品性も何もないタダの田舎のおじさんですよ。」と恐怖心を少しづつ取っていきました。

そしてその信徒に対して勇気を持って儀間牧師に対面しお墓の件を話してくるようにと盛山さんは指導し促しました。そして儀間やヤビクがどのような嘘を口にするのか知りたいという盛山さんの強い思いから、内容をしっかり聞き記録しておくように、できるならテープに録音するように諭しました。

その信徒は勇気を振り絞り沖縄リバイバル教会のとのやり取りをテープに録音することができたのです。彼女は勇気を出し教会に行きお墓の件を切り出したのです。すると、儀間の懐刀で儀間の指示ならどんな悪いことでもやり通す教会事務員の屋比久宏はその信徒に対してこのように言葉を発したのです。

「教会は現在お墓をつくっている途中なんだ、もうすぐ沖縄リバイバル教会の納骨堂が完成する。」と、その信徒に言ったのです。屋比久はなんとか言いくるめようと、どこからでもどんな嘘でも平然と大真面目の振りをして嘘をつくのです。このお墓の騙しは詐欺事件だと私は思います。「もうすぐ完成だ」なんて、良くもぬけぬけと言えると思いませんか?


儀間盛夫、儀間盛人がやっているように多くの人々を騙しお金を騙すなど、一時は成功するかもしれませんが、いつまでも続けられるはずがないのです。神様はすべてご覧になっています。すべてを知っているのです。人はだませても神様は騙せません。



 
儀間盛夫も妻の淳子も息子の儀間盛人も屋比久宏も長年信徒を騙し続けてきています。言い逃れやその場その場で行き当たりばったり、適当な嘘をいい相手を振り回すことなど彼らにとって日常茶飯事なのです。そんなことは何とも感じない人達です。根っからの大嘘つきなのです。マインドコントロールの抑えがしっかり効いている信徒に対して何とでも言ってその場をしのげばいいと思っているし、そのようなことをして実際騙しが成功しているのですから。


長年マインドコントロールによって操作されていたことが今なら良く分かります。
息子の盛人は親のやっている、人を騙し続ける生き方を見て育っています。親と同じように人を騙す方法を幼いころからしっかり身につけています。もうそろそろ親を越えているのかもしれません。人を騙しそうな人には誰も騙されません。騙しそうに見えないから詐欺師なのです。牧師を名乗っているのですからなおさらです。



あの頃私は儀間の本性をどんどん知ることとなっていきました。そして想像を絶する様々な脅迫に晒されていました。私はあまりの辛さに心が爆発寸前でした。


心も体も限界でしたがそれでも生きていくために働くのですが、職場で急に心臓がバクバク波打ちはじめ、胸の奥がバッタンバッタンと畳を引っくり返すような音がして心蔵が揺れ動くのです。
その内、本当に心蔵がどんどんどんどんものすごく重たくなって行きました。その重さに耐えきれず身体が左側に傾き立っていることができず倒れ込むのでした。


また、時には辛かったことを思い出すと呼吸が苦しくなり息ができなくなることも何度もありました。現実に起こっていることに自分の精神が付いていけない時やあまりにも辛く苦しい時、人は涙の一滴も出ません。


私も事件の起こった2005年その一年間涙一滴もこぼれませんでした。少しことが進み始めた2006年になって、今度は毎日毎日泣いていました。一人になると子供のように大声を上げてわんわん泣き続けていました。そしてひきこもるようになったりとひどいものでした。家の中がゴミの山になることも何度もありました。
本当に精神錯乱状態が長い間続いていました。


あの頃の私はそんな状況でしたので、盛山さんは毎日私に連絡をくださったり、私の自宅に何度も寄ってくださり支えてくださいました。今の私が生きていられるのは盛山さんのお陰です。盛山さん無しに何も語ることはできません。


 
これまでの儀間を見てわかることですが、
彼らは未だに牧師を名乗っています。彼らには信仰心は全くありません。信仰心が無いので愛も無いのです。愛が無いから信仰心もなく、神様を信じてもいないのです。神を信じていないから悪いことをしても平気、神様が怖くもなんともないのです。

彼らにとってお金が神なのです。金さえあれば何でもできる、死んでしまえばすべてが終わると思っているから、金を追い求め人を踏みつけ人権を奪うことにも罪悪感も感じないのです。彼らこそ悪魔に心を売っているのです。
そんな悪魔の使いと仲良くできる牧師も多くいるようですが、そんな人は偽物の牧師です。


本物の牧師であるなら、信仰心を持つ牧師なら儀間親子のような真っ黒い悪魔のような偽物に近づくことはできないはずです。

ということは、本物の牧師があまりにも少ないということがよく分かります。

今は、本物の牧師であってもいつ偽物に巻き込まれるかわかりません。その人がお金の欲や地位や名声その他の欲をわずかでも求めるなら、すでにその罠にはまっているのです。


沖縄の牧師は狭いこの島で誰と付き合うのか、どの牧師に距離を置いて歩むのか、よくよく考える時期が随分前から来ています。偽物に距離を置きその色に染まらない様に自分を守り、教会を守り、信徒を守ることはとても大事なことです。

線を引くことを考える時期、その時期もそろそろ終わりに近づいているように感じます。自分の生き方姿勢を打ち出すことはどの世界でも、とても大事なことではないでしょうか。それこそ信仰の表明を信徒に薦めていながら、牧師自信自らの姿勢はフラフラと曖昧にしている。

「良いことは良い、悪いことは悪い。」と言えない自己保身を捨てきれない牧師がえらそうに信徒に何を語るのでしょうか。



 
2005年当時、苦しんでいる私達を捨てて多くの牧師たちが「牧会倫理」「他教会不介入」などと馬鹿なことをいって皆逃げて行きました。牧師でもない、老夫人の盛山和子さんがたった一人で、この9年間心壊された私達を一人一人集め、その傷ついた一人一人に愛を送り寄り添い続けた事実を前にして牧師たちは何を感じ何を思うのでしょうか?


盛山さんは教えます。

「99人が反対していても、たった一人の人が正しければ、その一人の人に付きなさい。数や大きさに負けてはいけない。おそれることはないのです。どんなに苦しくても辛くてもたたかれても、正しいことをやり続けていけば、きっと協力してくれる人が現れます。」私は盛山さんのその言葉に勇気をもらい励まされ続け進んできました。


次は牧師さんたちが姿勢を示す番だと私は思っています。
牧師が「牧会的配慮」などと馬鹿なことを平気でいい信徒に嘘をつく、信徒を騙すことが平気、それに慣れきっている、その嘘を正統化している。そんな牧師が多いようですが、どなたが本物の牧師なのか、聖書を語るにふさわしい牧師なのか私はしっかりと見ていきたいと思っています。

しかし、人から指摘される前に自分自身で自分の心に暗闇を感じたのなら、その時点で身を引いて頂きたいものです。

ここで曖昧にして生きていると儀間の息子儀間盛人のようにその嘘が身に付き、その内、色々な欲望が頭をもたげはじめます。

いけないことはいけないとはっきりNOと言える牧師になって頂きたいものです。





 

2011年11月3日シンポジウムでの発表

以下の文書は昨年11月に沖縄牧会問題研究会

シンポジウムでの私の発表したものです。

遅ればせながら、今回掲載させていただきます。


http://blogs.yahoo.co.jp/okinawabokkai/12101505.html



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2011年11月3日

上江洌尚子



1.マインドコントロールを受けると

私は今年で54歳になりました。あの事件からもう7年が過ぎようとしています。私が沖縄リバイバル教会に通い出したのは、今から17年前になります。37歳から47歳までの10年間沖縄リバイバル教会の会員でした。あの頃、私に伝道した人は言いました。教会の礼拝に参加するには3日間の聖書入門講座の受講が必須と言うので私はなんとか時間をつくり受講しました。その講座を受けた中で非常に印象に残ったのが悪霊の存在でした。他に強く教えられたことは、一般社会、教会的に言えば「世」についてでした。この世は悪魔が支配しているという教えに驚きました。教会は唯一真の神の臨在するところである。教会外は悪魔の支配下にあるというものでした。


洗礼を受け真(まこと)の神の子にならなければ悪魔に散々いたぶられゆさぶられる人生を歩み、最終的には地獄へ行き永遠に苦しみ続けるという教えでした。その当時私の息子が小4、娘が中三、私は子育て真っ最中でした。働かなければ食べていけない、しかし子供との時間は中々取れないという生活状況でした。子育てに不安を感じていた私は聖書の教えがあれば教会に行けば子供はまともに育つと単純に信じていました。なので、私の生活はどんどん教会中心の生活に変化して行きました。



教会に集っていない一般の人達、友人との交流がどんどん減っていきました。もちろん親戚縁者兄弟身内との交流も徐々に途絶えて行きました。教会では肉の家族、霊の家族、があると教え血縁関係は単に肉のつながりと教え、教会の兄弟姉妹は神が備えた霊的家族、神の家族と教え天国では神の家族と共に永遠を過ごすという教えがありました。それを信じた私などはいとも簡単に親戚身内との関係に線を引くのでした。


あの当時、私の家では複雑な事情があり、私が実家の仏壇を預かっていました。仏壇が悪魔の通り道だと儀間牧師の説教から教えられた私は身震いするほど仏壇が怖くなり儀間牧師の教えのとおり、とうとうお仏壇を壊してしまいました。お位牌は教会に運びゴミ捨て場で教会事務の屋比久と私ともう一人、波平という信徒リーダーと三人で立ちきりの祈り悪霊追い出し、打ち砕きの祈りを唱えながら先祖代々のお位牌を無謀にも焼き捨ててしまいました。今思うと何と愚かだったんだろうと悔まれてなりません。


それからは言うまでも無く家族関係は破たんして行きました。その時の私の思考は家族親族を悪魔から守っているつもりでした。あの時の私は「神のご計画」に導かれた結果だと思い込んでいたのです。カルト的思考回路にしっかりはまりこんでいた私がいました。



宗教的精神操作マインドコントロールというのは大変におそろしいものなのです。「隣人を愛せよ」という聖句を唱えながら、私は家族親族の立ちなおるこができないくらい私は隣人(家族)を苦しめていたのです。あの頃の私はどれだけ兄弟親戚身内の心をズタズタに傷つけていたのかわかりません。

儀間牧師の間違った教えを信じ切った私は、親族家族をイエス・キリストから遠く遠く引き離してしまっていたのです。今私が語っている体験は今迄親しい人にも話した事はありません。2005年あの事件の時から7年経ってやっと今話せるようになりました。私と同じような馬鹿なことは、もう誰にもやってほしくはありません。



十字架を掲げている下でこのような宗教的精神操作が長年行われています。沖縄リバイバル教会では偶像礼拝が一番神に忌み嫌われる罪であると教え込まれ、救いの喜びを感じるどころか私の心は恐怖心で埋め尽くされていました。



牧師は神の選び、神の通り管であるから牧師がすべての面で恵まれなければ、その恵みは信徒に流れていかない、と講壇から常に儀間は語っていました。沖縄リバイバル教会での10年間の信仰生活は恐怖にさいなまれ続けた苦しみだけの生活でした。



献金についても大変苦しみました。「収入の十分の一は神様の物だから神に返しなさい。」「十一献金をしない者は神の物を盗んでいる」と儀間は講壇から要求し続けていました。生活の苦しかった私にとって毎月毎月の十分の一献金をクリアしなければならない日々葛藤の連続でした。
生活費が足りないのは毎月の事、時にはガソリンを節約するために往復三時間をかけ職場まで歩いたことが何度もありました。



2002年教会の敷地内に私は店を構えました。私は県から母子家庭の自立支援金を借りして店舗をつくりました。



そして2002年5月カフェをオープンしました。オープンから3カ月位たったころ儀間一家の非常識さが浮き彫りになっていきました。その以前から儀間牧師一家の行動に不審を感じる点が多くありました。しかし極度のマインドコントロールを受けている私は思考が停止しており考える能力がありませんでした。



あの牧師家族のおかしなところは数多く見て知っていたのですが、口外すると神に立てつくことになると思い込んでしたので怖くて誰に言わず沈黙を守りながら一人で祈っていました。祈る事でこれ以上考えなくても良いという思考です、単純な考えです。考えることをしない脳になっていました。


牧師に対する不信感は悪魔からくる罠である。悪魔はそれを足がかりにして私の心を支配しようとしていると儀間の間違った教えを信じ込んでいました。



また、カルト専門家の書物をみるとこう書かれています。カルトの組織の中には「愛」は育ちにくい。愛とは本来何の警戒心も無い、誰にも気兼ねの無い中でしか生まれない。



お互いの信頼関係こそが愛の源である。ところがカルト教団の支配的感情「恐怖心」である。そのため信頼より猜疑心の方が大きくなってしまう。カルト集団には本当の愛は生じない。そしてカルトの特徴は組織から抜け出た人を悪魔にヤラレタ人、罪を犯した人と見なし、そのような人と交わる信徒は自らも悪に染まることになると恐怖心を抱かせる。



カルト教団が組織の離脱者達と交流するのを嫌うのは、離脱した彼らから組織に不都合な情報が信徒に入ることを警戒してのことである。牧師に対して疑問を持つことは悪魔に惑わされていると思い込ませる。カルト教団は自分で考えない人間をつくりだすのです。

マインドコントロールとは人間を破壊するものです。これは大きな社会問題であり人権侵害なのです。








2.なぜ裁判に至ったか。

2005年3月16日地主山田ひろみ祖母が突然逝去される。山田は葬儀司式を沖縄リバイバル教会主任牧師儀間盛夫に相談するが儀間盛夫は葬儀司式を断ったあげく葬儀を混乱させ妨害行為を行った。2005318日儀間盛夫の行った葬儀混乱妨害行為含む山田の相続財産の取り扱い及び、教会用地問題について話し合うために私は葬儀の後沖縄リバイバル教会へ向かった。




私の要求した内容

1.山田ひろみの土地権利証を山田ひろみに戻すように。

2・山田ひろみの実家土地を売った十分の一の献金480万                  円を山田に戻すように。

3.新会堂を建てるために山田ひろみに支払わせた費用700万円を戻すように。

4.山田ひろみに教会用地土地の賃料を支払うように。

5.教会は収支報告を行うように。

6.信徒の中から公正に役員を選出するように。

7.教会は会衆性を取り入れ民主的な教会運営を行うように。

8.信徒を大事にし弱い者を助ける教会にするように。




沖縄リバイバル教会事件が裁判にまで至ったのは沖縄リバイバル教会主任牧師儀間盛夫が約束を何度も破り私達との話し合いに一度も応じてくれなかった。


そして私の店の営業妨害を続け閉店に追い込み私と私の家族を教会から除名しました。儀間盛夫主任牧師は事実を握りつぶし、何も知らない信徒に対して嘘の情報を植え付け真実の情報を遮断し混乱させた結果起こった騒動なのです。



今になって考えるとわかるのですが、儀間盛夫は初めから裁判を想定し準備を整えていたのです。保険代理店業、一憶二百万円詐欺事件など数々の裁判をかいくぐり生きてきた儀間盛夫は裁判所も騙しながら民事裁判、刑事裁判を数々経験してきた儀間盛夫にとって私達元信徒との裁判は赤子の手をひねるようなものであったでしょう。


自分に有利な捏造文書を誰に書かせれば効果的であるか法の盲点、法の網をくぐることができるかを知りつくしていたのです。ですから、南部牧師会の長老連中を手中に抱き込むことも儀間盛夫にとって簡単なことなのです。特に糸満新生教会主任牧師、沖縄世界宣教教会主任牧師及び南部牧師会の重要な位置におられる長老方を丸めこめたのです。



さて、それにかかわった牧師たちが皆儀間盛夫に騙されたのでしょうか?事実確認もしないまま裁判の陳述書をいとも簡単に書いてしまう牧師とは一体何なのでしょうか。あまりにも情けなく残念無念としか言いようがありません。このことから牧師の常識の無さ、善悪の判断の欠如、能力の低さと体質が大変よく分かります。






3.被害者に寄り添うとは

この8年私達被害者に寄り添い支えてくださったのは盛山和子さんただ一人です。

70歳を過ぎても、その行動力と深い人間愛は変わることがありません。悩んでいる人の相談は聞く側も共に痛みを感じるものです。その人の痛みを「自分の痛み」として受け止め共有できる人でなければどんな言葉も痛んでいる人の心には届かず心を開きません。盛山さんはどんな人に対しても全身全霊心から向き合うのです。疑問を投げかける人には対してもやさしく包み込み受け止めてくれます。



私のブログを見た多くの方が「盛山さんと話してみたい、相談したい、悩みを聞いて欲しい。」と県内は勿論県外からもたくさんの電話やメールが届いています。中には県外から直接沖縄まで飛んで来られる相談者もおられます。「たくさんの牧師に相談したがらちが明かず悩んでいました。でも盛山さんに相談して心の整理が付きました。」という声をたくさん聞いています。


盛山さんは一人一人の問題が解決しその人らしい人生を歩んでほしいと願い活動を続けています。もう二度とカルト牧師に騙されないでほしい。もう二度と偽宗教に取り込まれないことを私達は切に望んでいます。


次に「伝道」について盛山和子さんから学んだことをお話しします。

カルト教会では宣教 宣教!! 伝道 伝道!! 救霊 救霊!!と何かに取りつかれたように駆り立てられおかしな精神状態の中に置かれます。沖縄リバイバル教会にいる時の私は正にそのような精神状態でした。福音宣教ってそんなものなのでしょうか?


福音宣教とはそれぞれに置かれた生活圏の中で真面目に一生懸命コツコツと生きる中、自分の家族を含め周りの方々に対して精一杯の愛を尽くし、そして何ものにも怯まずおもねることなく「是々非々」で生きることがとても大事なことなのですと、盛山さんから教えて頂きました。


「是々非々」とは、辞書を引くとこう書いてありました。
「良いことを良いとして賛成し、悪いことは悪いとして反対すること」と書いてありました。



特別に宣教宣教、伝道伝道と言わなくても「是々非々」を心に置き日々一生懸命生きる。そして優しく愛をもち、一人一人を大切にして歩み続ければ、その人から温かいものが流れます。



「私はクリスチャンですよ~!!」と自ら宣伝する必要はありません。その人から温かさ、やさしさ、何ものにも動じない姿勢、逃げない生き方、損得ではない、愛に根差した生き方をコツコツ積んでいけばその人に人々は引き寄せられて行くのではないでしょうか。


時間はかかるかもしれませんが、周りの人たちはあなたに聞くでしょう。「何か信仰をお持ちですか?」と。盛山さんはそのような生き方が福音宣教であるとされ宣教宣教と騒ぐことなく淡々と多くの方々をキリストの元へ導いておられます。おごらず力まず常にへりくだる人間でありたい。弱い者が泣く時、毅然とした姿勢で理不尽に立ち向かう勇気を持ちなさいと盛山さんは教えます。



この8年間、盛山和子さんの歩みを見て私は身震いの連続でした。口だけではなく、その生き方は弱い人々と向き合い深い愛を行動で示してくださいます。終始一貫8年前から今も変わるところがありません。その働きは被害者のみならず、その周りの家族親族にまで行動を起こされ愛を示していらっしゃいます。



以前、私は盛山さんからこんな質問を受けました。
「尚子さん、あげればあげるほど増えるものはなあに?」
エッー!!いくら考えても私にはわからなかった。



すると盛山さんは言いました。

「それはね、愛ですよ。愛はねえあげればあげるほど増えていくのよ。」その言葉に私は衝撃を受けました。
しかし、私には簡単にできることではありませんでした。すると盛山さんはそんな私を見て言いました。「人の心はそう簡単に変わるものではないのよ。まず形からやってみるのですよ。形から入っていく中で心が伴っていくようになるのですよ。」と、本当に感動を覚えました。



また次の言葉も私にとって大切な言葉となりました。

「雨風をしのぐことのできる家があり、
日々食べていければそれで十分です。

お金が無くては生活はできませんが、
お金は必要な分だけあればいいのですよ。」



「お金を追い求める生き方をする人はね、
大切なものをポロポロ ポロポロ落としていくのよ。」


「もし、食べるものがなくなったらね、
尚子さんその時は公園や道端に咲いている
フ―チバ―(よもぎ)やタンポポ、
桑の葉を一緒に引きに行きましょうね。
とてもおいしいのよ。」


「食べていく心配なんかいらないのよ。
これ位の苦労はね、苦労の内に入らないの。」


このように私は人として大切なことを盛山さんからたくさんたくさん教えて頂きました。
私の価値観が変わり人生観が180°変わり、意識変革が起こりました。



しかし、心ない人達は「これは崇拝だ! 盛山教だ!」といいますが、それは違います。
私たちが盛山和子さんに抱くのは「尊敬」です。盛山和子さんは私の「人生の師」であり、最も大切な「命の恩人」なのです。



私がこの8年間、何にもひるまずに真っ直ぐ進んで来れたのは、盛山和子さんがいつもそばにいて支えてくださったから、どんな苦しみにも泣きながらでも耐えることができました。




もう一点大切なことをお話しいたします。



これまで私たちが体験した歩みを振り返ると、教会や牧師から受けた痛みが未だに深く残っています。しかし私達は誰一人信仰の糸を切ることをしませんでした。

問題の中にあっても苦しくて倒れそうな時でも盛山さんは私達の信仰の火が消えない様に常に寄り添い祈り、聖書の言葉を普通の言葉に変えて私達にわかりやすく語りかけてくださいました。私達は盛山さんを通して神の愛を受けつづけました。なので誰ひとり信仰から離れていません。


ですが、未だに大勢の人の中で賛美歌を歌うことはできません。でも、一人で静かに讃美歌を口ずさむことはできます。







4.牧師と信徒の違いについて

2005年沖縄リバイバル事件が勃発した当初、私は儀間牧師と話し合いを持つことで問題は解決できるものだと信じて疑いませんでした。儀間牧師に問題を指摘し忠告すれば牧師は悔い改めるものだと思い込んでいました。今思うと何と幼稚で未熟な考えであったのかわかります。牧師だから嘘をつくはずがない、聖書を学んでいるから、神様を信じているのだから、クリスチャンだからと・・・。

そんなものは関係ないということに気が付きました。



悪い事をする人は、信仰心を持ち合わせていないのです。他の問題教会、不祥事牧師は知りませんが、こと沖縄リバイバル教会の主任牧師儀間盛夫に関しては教会を起こした当初から信仰心はなく教会を商売の一つとして始めていたことが色々調べていく中でわかりました。



儀間盛夫、息子の儀間盛人は教会をビジネスの場をして営業所として起こしたのです。沖縄リバイバル教会は途中から方向がおかしくなりカルト化していったのではありません。
私がなぜはっきりとそう断言できるのかというと、沖縄リバイバル教会発足当初から既に被害者が出ているからです。



儀間牧師はアンデレ神学校、松山クリスチャンセンター創設者、故万代恒雄と組み当初、沖縄リバイバルセンター、次に沖縄リバイバル教会、現在は沖縄リバイバルチャーチなのです。上書きの教会名を幾ら変えてもカルトはカルトなのす。




教会創設当初から万代恒雄のビジネスを取り入れ自己啓発SMIプログラムという高額の品物を信徒に売りさばいていたのです。調べてみて驚きました。



その商品は1セット30万円もする高額のものです。それを一度に2セット60万円あまりもの品物を売りつけられた信徒もいるのです。お金持ちが喜んで気に入って買ったのならいいでしょう。


しかし、儀間盛夫が売りつけた相手は大学生であったり、看護師の卵であったりと、20代そこそこの社会にもまだ巣立っていない若年者にローンを組ませるあたりは並みの詐欺師より悪党だと思いませんか?



この若者たちが社会人としての第一歩から30万円~60万円という高額の借金を背負わされ5年間もローン払いに追われたというのです。そのローンに加え収入の10分の1を出さなければならず、給与の半分は儀間盛夫に吸上げられていたことがわかります。やくざ顔負けのやり方です。



沖縄リバイバル教会の主任牧師儀間盛夫は教会内でありとあらゆるビジネスを仕掛けていました。SMIに始まり、(有)ジーエム保険も兼業し代表者を儀間盛夫の妻、儀間淳子を置き、保険勧誘からネットワークビジネスと引っ切り無しに教会内で色々な商売物売りが駆け巡っていました。それらで集めたお金の一部は詐欺師長一夫に騙し取られたことになり1憶数千万円は忽然と消えて行きました。



消えた一憶数千万円について儀間盛夫は未だに何一つ明らかにしていません。また、マインドコントロールを受けている信徒は疑問さえわかない思考停止状態が永遠とつづいています。



詐欺事件の次に偽牧師儀間盛夫がやったのは、天涯孤独二十歳そこそこの山田ひろみさんを騙し亡くなった父親から相続した財産収奪に儀間盛夫は乗り出したのです。詐欺師である長一夫に騙されたと儀間盛夫は刑事告訴し刑事裁判になりましたが、その裁判も嘘に嘘を重ね勝訴しています。儀間盛夫の足跡を追うと次々に驚くような事件が出てくるのです。

4年という実刑を受けた長一夫と沖縄リバイバル教会の儀間盛夫はどちらが悪党でしょうか。片や長一夫は詐欺師として実刑を受け、片や儀間盛夫は牧師を名乗り何の罪も受けずにいます。どちらも詐欺師なのです。


本物の信仰心があればそんな悪い事できるはずがありません。悪いことだとわかっているから、信徒を宗教的精神操作(マインドコントロール)しなければならないのです。彼らの実態を知った私などは信徒の中に置いておくと隠蔽していたことが次々に暴露され教会内での商売ができなくなる。



儀間盛夫は本物の悪党ですか彼らは悔い改めません。


「嘘であっても言い続ければ、それが本当だとなるんだ。」と講壇から儀間盛夫は以前豪語していました。沖縄リバイバル教会の実態を知った信徒は追い出すのです。私と私の家族が除名されたのは儀間盛夫が詐欺師である証明です。儀間盛夫のような悪人はことがばれたくらいで反省謝罪することはありません。現に裁判の中で嘘の陳述書を幾らでも出してきました。




2005年事件が起こった当初、未熟で無知だった私は儀間盛夫に話し合いを持ってほしいと何度も求めましたが、話し合いどころか、教会の前に側近男性を立たせ力ずくで私達を排除しました。何度も話し合いを求めましたが、そのたびにパトカーを呼び不法侵入、威力業務妨害などとし、警察を介入させてきました。私は一度も儀間牧師と会うことすらできませんでした。



儀間が一切の話し合いに応じないことを知った私達は沖縄の著名な牧師や何名かの牧師に会い沖縄リバイバル教会で起こっていることを説明しました。ところがどの牧師も「牧会不介入、牧会倫理」などと理由にもならないいい訳を持ちだし逃げていくのでした。私達の声に耳を傾ける牧師はあの当時一人もいませんでした。


「牧会不介入」と言いながら「警察の介入」は許されるのですか。


裁判がはじまり事件が明るみになって三年経った頃です。希望教会の崎原牧師、与勝バプテスト教会の石原牧師と会いました。崎原、石原牧師も裁判中の私達に対して「裁判にかかわることはできません。」と何の悪気も無く発した言葉だったのでしょう。しかしその言葉が私にどれほどの痛みを覚えさせるものなのかご存じなかったようです。



それでも私達は真実を知ってほしいという一念で何度もお会いし事実を訴え続けてきました。時間はかかりましたが、崎原、石原牧師、また重元牧師も加わり今では大変よく理解して頂いています。そして問題を問題としてとらえてくださっています。



儀間擁護の陳述書を出した南部牧師会に対して盛山和子さんは支援者の立場から牧師に対して襟を正してほしいということを強く求め、そして若い牧師たちに期待するという内容で沖縄のキリスト教会に苦言を呈する抗議声明文を出してくださいました。



また、崎原、石原、重元先生も南部牧師会に対する抗議声明文を公に出し声をあげました。それによって如何に南部牧師会が出した陳述書が一部の牧師の捏造であるか知って頂けたものと思います。



どんなに信徒が真実の声を上げても多くの牧師は聞く耳を持ちません。しかし、牧師同士の場合は別です。明らかに牧師が嘘をついていることがわかっていても牧師は牧師をかばうのです。そういう間違った体質を変えない限り沖縄のキリスト教会は健全になりません。



沖縄リバイバル教会の事件について、「南部牧師会として謝罪しなければならない。私達は間違っていた。」と、一人の著名な長老牧師は私達の前でそう言いました。あれから一年以上経ちますが未だに南部牧師会からも、その長老牧師からも何の謝罪の言葉もありません。


牧師を40年やろうと50年やろうとも如何なる功績があろうとも、自分の口から発した言葉を実行できないのであればタダの嘘つき牧師です。こんな嘘つき牧師を牧師先生と崇めたてまつる信徒もいけません。



牧師が犯罪まがいのことをしても何も言えず見過ごしてきた信徒である私達にも大きな責任があるのです。これだけ組織化したした中では犯罪まがいの事は牧師一人だけではできないのです。知らず知らずの内に精神操作された信徒は牧師のいうことはごもっともと疑いもせずにどうしようもない嘘つき牧師について行くのです。



ですから信徒のみなさん、如何に自分に自信があったとしても、そういう嘘つき牧師のいる教会には決して近寄らないようにしてください。そして信徒である私達はもっと視野を広め、自らも学び情報をとるようにしましょう。「まさか牧師が・・」という思考から卒業しましょう。牧師も信徒も同じ人間です。神様から見たら同じ羊なのです。







5.最後に

沖縄リバイバルチャーチ主任牧師儀間盛夫は裁判で無罪にありましたが、決して無実ではありません。

私達は裁判で負けました。真実は見えません。


しかし、それぞれの目で事実を見ています。それぞれの耳で事実を聞きました。私達は事実あったこと体験した真実があります。真実は確かに私達の心の奥にあるのです。

捏造偽証を積み重ね裁判に勝ったとしても真実には勝てません。すべてのことが必ず明らかになる日が来るのです。



私達のような被害者をこれ以上出さないために。

教会で傷つく人が一人でも少なくなるように。

私は生涯声を上げ続けていきます。